【坂入尚文・不定期連載「まだ先へ」】

坂入尚文・不定期連載「まだ先へ」 第6回

「見世物小屋近況」
 

 かって見世物小屋はわずかなネタや太夫と共にに日本中を巡り、生計を立てた。
各地には地元有力者としての分方がおり、見世物屋を引き受ける。見世物屋は小屋に不可欠な数百本の丸太を分方から借りることができ、その移動をはるかに容易にすることができる。
 見世物屋(太夫元)にとっても分方にとっても、五月の弘前、六月の札幌、九月の博多は売り上げ三本の指に入る場所であることは現在も変わっていない。
 ちなみに千九百七十年代、弘前の花見では間口十二間の藪(お化け屋敷)は千二百万円以上の売り上げを獲得し、それより十年前頃の博多では間口六間の小物が六百万円を売り上げていたと聞く。弘前、札幌、博多は見世物屋にとって檜舞台であるということができる。
 そのためこの三場所で興行を打つために太夫元たちはあらゆる努力をして競い合い、戦後設立された分方と太夫元の機関、厚生省認可の日本仮設興行組合は、早春に行われる総会において、この三場所を含む、当時五十を越える小屋の、日本各地、年間巡路を認定している。ところが現在、単独の興行が可能な小屋は激減し、大規模なサーカスを除く小屋は、中荷として藪二社、オートバイサーカス一社、小物として見世物小屋一社となり、深刻な事態となっている。
 一方、生き残りの太夫元と、まだまだ栄える場所を持つ分方にとっては、年間の複雑な交渉は過去のものとなる。だがここにも問題がないわけではない。かって五十を数える小屋と、日本中に張り巡らされている、複雑なネットワークは、結果的に同じ町に毎年同じ見世物小屋を並べることを避けている。
 見世物小屋は死と禁忌を見せると書いたことがある。だが多くの定住者にとってそれは、どこか見知らぬ所からやってきた異質として感じ取られる。そしてその消費の速度がとてつもなく早くなっていることは、見世物屋自身が良く知っている事実でもあろう。

 見世物小屋の衰退は、これまで映画とテレビの出現、都市の空き地不足、太夫の不足などを問題としている。だがそれは、残念ながら多くの人が見ようとはしなかった、分方と太夫元の、複雑なネットワーク崩壊と同時並行的に進んだことは、昨年の総会においてもあきらかになった。
 テーマとなったのは、主に北海道の高市に話題となっている新進気鋭のオートバイサーカスのことだ。株式会社となったワールドーオートバイサーカスは今年四年目の活動に入る。繰り返しになるが、さほど大きくない町々を巡ることもある見世物は、数年、あるいは数十年に一度その町を訪れることによって異質を感じさせていた。
 四年目に入るサーカスは北海道以外に活路を見出そうとしている。だが現状は、残念ながらネットワークの崩壊、分断によって困難を極めているのだ。

 新しい見世物が成功した例もある。学会誌五号に追悼として掲載した入方勇君は、演劇界から見世物業界に参入し、多くの若い客を集め売り上げの記録を打ち立てた。檜舞台の順番待ちもない。その入方君は自殺してしまった。
 その後、昨年の花園神社見世物興行では、名門の生き残り、大寅興行が記録を更新する。入方興行が記録更新したのは三の酉の年であり、大寅興行はニの酉の年であるので、記録額は入方興行が上となるが、世界の大都市に生き残った見世物小屋はにわか景気に沸いている感がある。入方効果であろうか。
 入方君が成功した要因は演劇にも見世物にも縛られることのなかった、自分だけの舞台を短期間獲得したからであろう。そこには売り上げ目的ではない実験が成立し、大赤字となった分方も、初期はそれを大目に見るという優しさにも恵まれる。分方、見世物学会理事長もかっては見世物小屋で働いていたからだ。
 やがて入方君はキャラクターとなり、インターネットを活用する。入方君のキャラクター化は、主に特殊メークなどにより自身をキャラクター化することと同時に進んだ。そんなことまでやる見世物屋。奈良のキャラクターでは本物の鹿の角を生やし、河童では頭頂部剃り抜けて全身を緑に染める。そのようなキャラクターが衆目を集めたのだろう。
 インターネットではそれまで見世物屋が禁じていた場内を撮影させ、どうぞお友だちにも教えてやってくださいと情報を流した。それがあっという間に見世物とは対称的な、水平のネットワークを経て広がる。
 たとえばこうだ。私は同じ花園神社で飴細工を売っている。すると深夜、私の前にたむろう若者数人がケイタイの影像を交換し、「今度の見世物半端ねえ」と若者言葉ですぐにこの場に居ない友人に情報を送る。友達の友達は友達。まるでテレビの人気番組のフレーズのように情報は拡散し、そのうちにインターネットで入方見世物は人々の耳目を集める。入方君の狙いは当った。
 そのためでもあるまいが、大寅興行には小雪太夫やアマゾネスピョン子など若い太夫が参入して人気を博している。
 伝統的檜木舞台とは別に、大都市にそれまで見世物を知らない年代が見い出したのは、太夫に天幕というレトロな小屋と同年代の太夫、都市には見られなくなった泥の上の小屋の異臭だったかも知れない。

2013年7月

 
 
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