【坂入尚文・不定期連載「まだ先へ」】

坂入尚文・不定期連載「まだ先へ」 第5回

「その夜の誘惑」
 

 まだ若かった頃、八雲の高市が終わると北上して、日本海に面する港町、増毛(ましけ)のボサ高へ走っ た
 増毛は閑散とした終着駅の駅前に古い木造の旅館があり、こんな宿に泊りたくともどうせ流れ着いた町のボサ 高では金も風呂もなく、兄弟分の馬場と二 人、何軒かあるスナックの灯を見るだけで夜はトラックの中の酒を飲んだ 。次の町は内陸の永山と決め、雨さえ降らなきゃこの中高では旨い物食おうやと、 同じ話を三夜続ける。
 永山は駅前に雑草地の目立つ町で駅には立ち食いソバがある。久しぶりに朝から熱いのを腹に流し込むと救わ れた気がして、毎朝通ううちに主人と親し くもなる。主人は又、米の少なかった時代の代用食、キビ餅を作っており 、北海道の昔を思い起こさせてくれた。
 それが今年、とある町の高市で私に挨拶をする中年の男がいる。男は北海道内の高市を御輿を担ぎ歩く社中 の者で、なんと永山の駅ソバの息子だとい う。それでキビ餅のことも思い出したのだった。
 御輿社中には東京の浅草から道内の高市を巡る者までがいる。行く先々の高市、こんな小さな町のボサ高でも と思い出すと二人連れは夫婦で揃い半 纏。私の三寸を見付ければ挨拶をしてきて、浅草の三社祭でも飴細工買ったと いい、居眠りの続くボサ高で千五百円の龍を買ってくれたこともあった。
 二人が夏の間北海道の高市を巡るのは、三社祭の助人(すけっと)にきてくれた北海道の社中への返礼だと いう。それにしても六月から九月、道内を巡る のは雨垂れ香具師の私などとは違い、北方の夏の旅を楽しむ目的もあ ると睨んだ。
 そうだとすればこの二人だけではない。行く先々の高市に何種類も見る揃い半纏の社中、いわば結社はかなり の財力を持ち、つまらない市民社会とは距 離を持ちながら陰謀を企み・・・・・・などと考えれば、私は私の方でテキヤの 妄想を膨らませることができた。

 永山にはもう一人顔見知りがいる。顔見知りとはいってもその頃四、五才の少女であったのだからとっくに忘 れていて、最近になって名乗り出た三十代の 女性が今はテキヤの手伝いをしている。
 およそ二百以上三寸の並んだ高市の土場、その端には古びた焼肉屋があり、店の名は食道苑であったこともこ の女性から聞き、そうだったかと思い出し た。ショウバイが終わると馬場とはこの店でしこたまホルモンと肉を食い 、深夜まで、侘しいボサ高の埋め合わせするように焼酎を呷った。
 在日朝鮮人経営するこの店はテキヤに親切なことで通っている。野菜不足のテキヤには青南蛮でも南瓜でもた っぷりおまけしてくれてキムチも旨い。深 夜にもかかわらずその片隅に飴細工持って寝ていた少女は、この店の向い のアパートに警察官の男親と二人だけで住んでおり、親が夜勤の時はこの店の オモニが親替りとして面倒を見ていた ことは、信頼できるテキヤから聞いた。
 少女はお祭りが大好きで、目が覚めるとこの店から一人で土場を行き来した。オモニは又、少女にこっそ りと小遣いを握らせてもいる。
 少女の父親は刑事(デカ)であるとテキヤはいう。だが、二十四時間勤務はデカに限らない。デカ嫌いの テキヤの思い込みかとも思えるが、いずれにしても 飴細工ねぶる少女は一般家庭の幸せの替りに、たまさか金を握っ たテキヤたちをこの店で見続けていた。
 ところが高市は三日間しかない。 後日 あとび の夜、いざ高市が終りテキヤたちが裸電球のテッカリ(電気)消して片付けを始めると、少女は急に悲しくなったとい う。悲しくて悲しくてたまらなかった。
 永山の次の高市はオホーツク海に面する北の果、稚内までおよそ三百キロと遠い。翌朝には所場割りを控える テキヤたちはこれからの夜乗り殺気立ち、怒声も飛び交いながらトラックへの積み込みを始め、狭い土場から我れ勝ち の出立は深夜の町に疲れ果てた兵卒さながら、戦場の様相を呈していた。
 食道苑は土場の一番端に位置している。どこの高市でも土場の端は木屋(ぼくや)といわれる花屋たちがこん な時、テキヤの出立を尻目にまだ残ネタの叩き売りをしており、そこだけはテッカリの光芒も眩しく原色の花々が怪し く揺れている。少女は“自分の家”の前だけに残るお祭りを、大人たちの最前線にしゃがみ込み、胸苦しく 見ていたであろうか。
 ところが、いや、当然のことに木屋たちにも夜乗りの刻限がやってくる。最後の酔客たちが散り片付けが 始ると、今度は店の前に佇んで少女は震えながらそれを見ている。
 積み込みが終るまでおよそ一時間。内陸の放射冷却はこの時間に日中を十度下廻ることが珍しくない。防 寒具を欲しくなる寒さの中にしんとして、急に走り出した少女は木屋に気付かれず、無意識にトラックの荷台へ這い上 がっていた。
 それまでと激変して行くお祭り。目覚めから遊び続けていたお祭り。裸電球の光芒に揺れる花々。そのお 祭りがどこかへ行ってしまう。その幼い幻惑の中に涙を浮べ固いトラックの荷台に花の香りにむせび、深夜の国道を疾 走する闇の中。遊び疲れた少女は意識を失うように寝入ってしまった。
 翌朝トラックの幌を開けた木屋は驚嘆した。目尻から頬へ汚れた泪の跡を残し、見覚えのあるあどけない 少女がまだ寝入っている。少女は最後に積み込んだ寝小屋の天幕をたぐり寄せそれにくるまっている。食道苑の電話は 木屋のポケットのマッチ箱にあった。

 三十才を過ぎた少女は今私の顔見知りのテキヤに使われて高市を巡っている。そのテキヤが高市中のホル モンと焼き肉の晩餐に私を招待してくれた。
 晩餐とはいっても場所は人通りのない路上。選りに選ってガランとした寺の納骨堂の裏にビニールシート を引いただけの殺風景。それでも炭火おこした数人の会は今は一人旅の私に有り難い。
 この夜は急な雨に見舞われるとトラックを移動してシートを貼る。これじゃまるでその場限りの山賊まが いと笑いながら、なぜこんな現実のテキヤ世界に飛び込んだかを女性に聞いた。
 彼女はそれには答えない。成人して同じ町のマーケットに働く。鮮魚を扱いたくてフグの国家免許も取っ た。「それじゃ毒物の専門家だ。毒を扱う女はこわいよ。でもなんでかね。せっかく正業を目指して今はテキヤの下働 きってのはおじさんには考えられないけど」すると彼女はこう答えた。
 「おじさんはあの頃からずっと飴細工やってたんですね」「そうだよ。あとはずーっと酒飲んでる」
 笑い話に気を楽にして本音を聞こうとすると彼女はちょっと笑う。笑いながら酒を嚥下する彼女の目に潤 みがある。
 そうなのだ。この夜、彼女も私もあの頃の少女に誘惑されていた。

2013年1月

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