【坂入尚文・不定期連載「まだ先へ」】

坂入尚文・不定期連載「まだ先へ」 第4回

「置き去り」
 

 富良野から道南の高市、八雲へ行くようになったのは駆け出しの飴細工が一人前になった頃のことだと思う。この町の名は見世物小屋の人たちから聞いていた。
 私の経験上、飴細工は相当の細工ができるようになるまでにおよそ五年を要している。それに加えて高市の所場を地方の親分から貰えるようになるまでは乞食寸前の生活が続いた。その時期が過ぎて、北海道では珍しく内地的な地名の町へ行くようになる。
 この頃になると八雲には減り続ける見世物小屋は来ていないのに、まるでその残像を追うように行った町ではその後も大きな変化があった。
 一九九三年のことだと記憶している。いつものように高市の前日所場割りへ行くと制服と私服の警察官たちが待ち構えていた。私服の刑事は総勢百人近いテキヤの前で三十名程の名を読み上げ、それ以外は暴力団であるのだから商売を許可しないという。この翌年には暴力団新法が施行されることになっており、読み上げの中に私の名はあった。
 ところがその中に私の兄弟分馬場の名がない。馬場は二十才代には一本立ちした生粋のテキヤで、日本各地を転々としており、その上東北弁の啖呵売で私を魅了している。ネタは松葉といわれる「ドイツ製の」針の糸通しや「フランス製の」調理器具などを、町の雰囲気に合わせて替えていた。
 この町のテキヤ排除は町民集会で決まったのだと刑事(デカ)はいう。どうせやらせの町民集会というつまらない町、そう高をくくると、そんな町では啖呵売も飴細工も見せてやらない。馬場とそう決めて海を渡り、この年は青森県の高市に流れた。
 二、三年すると八雲の高市は元に戻っている。それから二十年程経つと、この町の高市に又もや大きな変化があった。
 いつからかこの高市には青森をみみっちく真似たねぶた行列が行われるようになっている。するとその小ささに合わせただけの人を近隣の町から集めた。ところが、商工会が主導したと聞いたが、行列は神社祭と切り離した別の日取りの“イベント”になってしまう。すると近隣の町ばかりではない。急に寂しくなった高市にこの町の人たちの人出もあきらかに減った。
 人口も減っているのかも知れない。人出の減った高市は、現在この町にボサ高(大きな祭に対し、「草深い」といった意味の小さな祭)の退屈さえ見せるようになっている。啖呵売の馬場はとっくにあきらめてこの町を去り、そのまま置き去りとなっている私は、むしろボサ高の似合う年令とはなった。
 一週間に八日曇るといわれる八雲のボサ。少し離れた海からのガスの中に人気はなく、肩すぼめて居眠りが続く。その眠りが「おじさん」という声で中断した。ガスの中に澄んだ目の少女が立っている。
 見覚えのある目だと強く目をつむり渋面作って、まどろみの脳に血を送り込み、ふたたび目を開けると客は少女ではない。生まれて間もない赤ちゃんを抱くおかあさん。五、六才の頃から飴細工に通い詰めていたお客の一人。それでも飴細工欲しい目は笑って少女のまま。そんなことになぜかうろたえながら、「やあ、子供できたんだね。今年は何にする?ピカチュー、アルチュー、シャブチュー…」といいかけてやめた。
「虎作って、この子の干支なの」
 この赤ちゃんが少女になる頃に私は。ふとそう思うと、潰れたホテルの前に雑草と月見草の生える町。しんとして日中は雀の声しかしない町。その町が今は懐しく思えた。

2012年10月

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