【坂入尚文・不定期連載「まだ先へ」】

坂入尚文・不定期連載「まだ先へ」 第3回

「雨垂れ香倶師」
 

 余市の高市が終るとほとんどのテキヤは、北海道随一の大高、札幌へ向かう。そこを私一人富良野へ行くようになって久しく、目の色を変えてただ稼ぐだけの大高にはとっくに飽きが来ている。 
 かつては百数十軒も三寸(露天)の並んだ富良野の高市は、残雪の夕張り山塊がそびえ立つその方角に向けて伸びる通りに、今は四十数軒しか並ばないボサ高(大きな祭りに対して、草深いといった意味の小さな祭り)になって久しい。 
 私の知る限り、三軒も並んだ一回五十円のスマートボールも一軒となっている。そこにさえ今は子供たちの喚声は少ない。 
 高市中、残雪の山を見上げている時間が長い。それでもこの町へ毎年来る目的は酒場だ。 
 酒場の名は「ちっこ」。ちっこが何を意味するのかは他の本に書いたので割愛。古い掘立て長家のガラス戸も開け閉めが難しく、床まで波打つこの酒場はおでんと桜鍋が妙に旨い。壁には北野武と所ジョージのイラスト入りサインもあった。 
 おでんはいつから煮返してあるのか豆腐にはスが入っている。スジ肉に至ってはとろけていて引き上げれば串に一、二個。それを箸とお玉で探す。すると、 “ばば”(北海道弁でばあさんの意)の厚い眼鏡が湯気で曇り、スジ肉足りなければ昆布でも足して、「これで我慢してくれなきゃ困るねえ、いいかい?」と、カラシだけは驚く程の量をもっこりとおごってくれる。 
 笹欠きごぼうと豆腐、自家製の青葱、見事に赤い馬肉を味噌で煮込む桜鍋は、これだけで一応の腹が膨む程の量であり千円と安い。乞えば青葱はおまけしてくれ、豆腐も半丁を安く足してくれる。 
 私より若いテキヤは、黄色い脂肪たっぷりの鳥モツ鍋を醤油とニンニクのタレで旨そうに食う。そこに南蛮(赤トウガラシ)をたっぷりぶっかけ大汗吹けば焼酎で飲み下し旅の喜怒哀楽を語り合っている。ところがこのちっこ、一昨年前に店を閉めてしまった。今年は店前にすでに雑草が茂っている。
 悪いことは重なる。同じ頃に土場近くの銭湯も店を閉めた。
 私以外のテキヤたちは富良野へ夜乗りで乗り込む。早朝からの所場割りと三寸の立て込みに汗を流し、迎えるこの町の宵宮(三日間の高市をテキヤは宵宮、本日、後日あるいはごい日という)の人出前に銭湯に入って、テキヤなりのみそぎをしていた。その慣習もこの時代に終っている。雨も降って寒く気怠いだけの祭り。その後日の片付けが終ると、テキヤの一隊は次の町へ又夜のうちに走る。それに付いて行く体力のない私だけがこの町へ残った。
 一昨年、私はもう一軒の銭湯と酒場をこの町で捜し出している。明日の夜はここで埋め合せ。この夜はトラックの中で缶詰の酒を飲む。
 地図で見ると駅裏には東西南北を頭に置いた麻町という四つの地名があり、学校もある。
 麻町という地名は戦時中軍の物資の生産に由来しているのであろうと推測して、それならば古い町と踏んだ。それが当っている。
 映画『北の国から』以降、駅前の古い町を再開発して、観光用にのっぺりとした町に作り変えたのに比べれば、鉄道の地下道を潜り抜けると古い低所得者用の長屋団地が広がり、その向うは見渡す限り畑。長屋団地に面した道路には食堂、そしてその裏手に銭湯が残っている。独身者流れ者にはピッタリの町ではないか。
 銭湯は入ると三百円。今時四百八十円が当り前の時代に半値近い。酒場の店主はちっこ屋のばばと同じ位の年代でやはりばば。薄暗い店内では肉体労働者か、三、四人の男たちが飲んだくれている。
 高市中の野菜不足に飢えた私はこの店では値の高い八百円の八宝菜を注文した。味の不足は南蛮と醤油があれば済む。湯上りに冷や酒コップに三杯も飲めば綿のような疲れがあり、飲んだくれたちとの付き合いもそこそこにトラックの万年床にもぐり込む。
 銭湯と安食堂。旅先では願ってもないこれは、生き残った一時代のおまけ。そのまま寝込むと明け方近くに激しい雨がトラックの天井を叩いた。仕方なしに又口を付けた酒にふと、前回ケロイドの極道のことを思い出す。
 極道にはたとえラーメンを食いたくとも寿司や焼肉を食わなくてはならない見栄がある。刺青があれば銭湯にも入ることができない。すると極道はテキヤを雨垂れ香具師と蔑んだ。
 そうか。私は雨垂れ香具師。フロントグラスに蠢く血管のような雨。それを見ながら夜明け前の残り酒を飲み干す。

2011年1月

©2011, Misemono Gakkai, All Rights Reserved.
inserted by FC2 system