【坂入尚文・不定期連載「まだ先へ」】

坂入尚文・不定期連載「まだ先へ」 第2回

「ケロイドの楯」
 

 旭川からは余市(よいち)へ着く。かっては鰊(ニシン)漁に沸き、数の子の出荷を終えて迎える高市は、丸太に天幕のサーカスや見世物小屋が三、四軒並び、多くのテキヤたちが闊歩する夜の町にはイルミネーションが白昼の輝きを見せていたという。
 それが今はすっかり寂れた。高市の時でさえ日中は人一人通らないことがある。そんな時に居眠りから醒めると、今は来ない見世物小屋に替ってゴリラの遊具(宇宙遊泳)が両挙上げ陽光を浴びている。子供の入らないビニールゴリラは、すぐその裏を走る一両だけのディーゼルカーに少しだけ揺れる。
 この町で昨年異様な極道と出会った。
 内藤秋二(六十六才)はオホーツク海に面した浜頓別に育つ。父は樺太からの引き上げ者、母は産母。引き上げ後の生活は困窮した。学校では馬鈴薯と塩だけの弁当を他の子に隠すように食い、二、三年生の頃には寒風の中漁の手伝いをして自給用作物の畑にも出る。父が壊疽によって片腕落した時に十五才、父の仕事を継いで森林伐採にあか切れも断えず、馬車を操る。夏は馬車馬共々大汗を吹き塩を嘗(な)め、冬の馬橇はしばれながらさらに危険を伴う。梶鉄を誤れば馬の圧死、人の片端(かたわ)が付きものの仕事だった。
 日払いの仕事を終えても夜に自家用の薪を盗みに行くことがある。秋二の下に五人の弟や妹、その飢をしのぐのは自分だと思っている。はたちになるとその子たちも働き始め、すると張り詰めていた糸が音を立てて切れた。酒を覚えての喧嘩はそれまでにも増して町に敵を増やしている。
 どうせならばと最果て行き止まりの港町、稚内の一家に兄弟分を得て入れ墨を入れる。一冬の刺青の苦痛を終えればいつ死んでも良い。入れ墨はヤクザの死に装束に思えた。
 粗食でありながら鍛え抜いた体躯。秋二の出世は早い。広大な縄張りを持つ親分に認められると、ついに憧れの内地、大都市仙台へ部屋住みとなる。
 部屋住みは親分より早く起き掃除を終え、事務所を守って親分の帰りを待ち、深夜に帰宅する親分が寝付いた後も、不意の事態に備えながらの仮眠という厳しい日夜を修行としている。それに耐え抜くと福島の組長に行動隊長として迎えられた。
 その後大手組織との抗争が勃発すると、ようやく売り出された重い携帯電話を肩に周波数を合わせ、警察の無線を傍受しながら八面六臂の働きを見せ懲役を繰り返す。その働きにより三十七才の時に一家名乗りを許された。
 ここまではあがきながら一歩も引かないヤクザの出世ストーリーに過ぎない。だが、秋二にはこの間けして明かさなかった親分への秘密があった。
 この頃の抗争では匕首(あいくち)を使うことが多い。組員はそのため濡れ新聞紙を胴に晒で巻き締める。抗争で疲れ切った秋二にはそれでもまだ不安がある。それだけでは怨恨による不意な攻撃に対応できないと思った。いつも親分の脇に立つ秋二には、身を捨ててでも親分を守ろうとする忠誠心も醸成されている。そして秋二は子供の頃を思い出していた。
 浜頓別の貧しい生家では緬羊を飼っていた。母は緬羊の毛を刈り、子供たち一人一人に手編のセーターを作っている。ところが緬羊なぜか、子が生まれると父がその尾を切り落す。その切り口は赤く熟した鏝(こて)で焼く。それが治癒するとゴリとした固いケロイドが残った。子羊の苦しみとあがき。抗争の合い間一人物思いに沈む秋二は突然子羊のそれを自分のものとしたい衝動に駆られる。そしてそのケロイドは新聞紙と晒よりも固い、完璧な楯となることを信じた。
 そうなるとじっとしてはいられない。すぐに外国製の石油バーナを手に入れるとコップ酒を幾杯も呷る。あぐら座りに両挙を置きじっと壁を見詰めてグラリと酎うとバーナの加熱を始める。加熱したバーナが幾度か赤炎を高く上げ、やがて花の形の青い炎を吹き出すと右腕立て、その上に右脇腹を差し伸べた。
 左利きの秋二は最初から右脇腹を焼くことを決めている。左脇腹を焼き、万が一利き腕が使えなくなれば親分を守れまい。そう考えたのと同時に、父の切り落した腕のことが思い浮かんでくる。
 いざ始めてみるとその熱さは内臓にまで、耐え切れない激痛として内発することを知る。初回は指の輪程を焼くのに耐え切れず水風呂に飛び込み、水中で叫び声を上げると大量の水が肺に達したのか、激しくむせて転げ廻った。次からは水風呂に、氷ぶちまけて事に及ぶ。
 およそ三ヶ月、秋二はひそかにこの行為を続けている。日常の変化に気付いた兄弟分はただれた焼け跡を見ると止めてくれと涙を流し、化膿してたまらず病院に駆け込むと入院を勧められ、安静にしなければ死ぬといわれる。それでも治療した部分はさらに焼き、憑かれたようにケロイドを厚く、固くしようとした。
 入れ墨がいつでも使える死に装束であるように、ケロイドの盾が機能的であるとは思えない。他に方法はなかったのかを聞くと秋二はこう答える。
「とても止められないどうしようもない気分だったんです。それまでの兄弟分たちとも、自分とも別の人間になりたかったんです」
 アマゾネスは弓を引くために左の乳房を切り落としたと伝えられる。あるいは特殊な革帯によってもそれは可能であったが、切断は死を賭する女戦士の儀式であったとするのが正しいだろう。そこにはスティグマが残る。  
 その後、ある事件で親分と姐さんが懲役へ行く。残された妹二人は自殺した。時を経て組は自然解散となり秋二が余市へ流れ着いたのは七年前。それだけの時が過ぎケロイドは今でも皮が剥け厚いカサフタの取れることがある。  
 そんな時いつも見る夢は、今でも仲間の裏切りや凄惨な抗争のこと、それではいけないと思うことがある。余市では日中より人通りのない酒場街の一角に居抜きの酒場を持った。毎夜無口に少ない客を持ち続け、この年になればじきにそれも終ると思う。寂れて行く酒場街がもうひとつの傷跡を治してくれるような気もしている。

2010年6月

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